高橋熱です。こんにちは。
今回から、僕が学生時代に知り合った恩師3名のエピソードをご紹介します。
恩師といっても、人としての生き方や、小説の書き方を学んだということではなく、自分が今、こうして長年小説を書き続けられている動機付けを、何らかの形で与えてくれた(与え続けてくれている)恩師たちです。
既に亡くなってしまった先生もいますが、僕にとってはかけがえのない恩師であり、他の同級生はどうであれ、僕の考え方や人生に何らかの影を落としていることは間違いないと信じています。
僕が小説家を志す為にお世話になった恩師たち
① O先生(美術・小学校)
自分で言うのも何ですが、僕は絵を描くことが得意な少年でした。
特に水彩絵の具を使って書く風景画や人物画については、保育園の頃から褒められ続けてきました。書くにあたってのプロセスや特徴を捉えるパターンを自己流で掴めるようになってからは、対象を見なくても、自分のイメージの中で描けるようになっていました。
美術のO先生は、とても温厚な性格で有名でした。とにかく優しくて、人柄もよくて、多分学年で「好きな先生」投票をしたら、間違いなく上位に名を連ねるであろう人気の先生でした。そして、漏れなく僕も、それはそれは何度となく、O先生から描いたものを褒められました。当時の僕は、美術に限らず、先生に褒められることを当たり前に思うような、超生意気な子供でした。
小学校6年。美術の授業。
二人一組で相向かいに座っての人物画。
いつものように僕は、相手の顔よりもキャンバスばかりに集中して、誰が見ても「上手い」と言ってもらえるような絵を描いていました。
一瞥すれば、大よそ相手のイメージは掴めてしまいます。
後は、普通に描いても詰まりませんから、特徴的な部分、デフォルメするに相応しいパーツをいくつかピックアップして、これ見よがしに強調を加えながら、全体のバランスを崩し過ぎない程度にまとめて描き上げていきました。
背後にO先生の気配。
僕はまたいつも通りの褒め言葉を期待して、そのまま目に薄いグレーの墨を入れていました。正面の彼はかなりネクラでしたので、全体のトーンもそのような暗い感じで統一しました。頬に影を入れ、唇に赤は使いませんでした。
最後に、真っ黒な瞳孔を一つ描き加えようとした正にその時、O先生は突然僕の手から絵筆を取り上げ、バケツにたっぷり浸して水を含ませると、今描いたばかりの目玉をぐちゃぐちゃに消してしまいました。
「自惚れるな! 前田の目が、本当にこんな目の色をしているのか!」
初めて聞く、荒々しい、それはO先生らしくない言葉でした。それだけ言い残して、O先生は行ってしまいました。
クラスの生徒も、何事かと一斉に手を止め、僕を見ていました。
先生によって塗りたくられたキャンバス上の水は、他の絵の具を巻き込みながら、いくつもの線となって、涙のように流れていきました。当然、絵は見るも無残、台無しです。
僕は何が何やら意味が分からず、滴る水を雑巾で拭いながら、まるでハンマーで頭を殴られたように、呆然としていました。どの先生にも怒られたことのない僕が、よりによって、あの温厚な、人気のあるO先生に、しかも聞いたことのないような大きな言葉で怒鳴られたのですから。
不思議ですが、O先生の記憶はそこで止まっています。
最終的に、ちゃんと絵を描き上げられたのか、その後の先生の反応はどうだったのか、今では全く覚えていません。
しかし、今思えば、O先生にはとても大切なことを教えてもらった気がします。
それは美術の授業だけに留まらない、何か。
僕は確かに、向かいに座っている前田君を、ろくに見ていませんでした。
自分の頭で勝手に想像した「前田君」を描いていました。
「キャンバスを見るより、対象を見ている時間の方が長くなければいけないよ」
それはO先生の口癖でした。
まずは、対象物をひたすら見る。
直ぐに描いてはいけない。
描くのは良く見てから。
描きながら、何度も見なさい。
対象物を見ながら描きなさい。
キャンバスはほとんど見なくていい。
とにかく良く見て、見たまま、嘘偽りなく、正直に描きなさい。
まるで、今の小説を書こうとする時の、僕の姿勢そのままじゃないか、と。
自惚れるな。
あの時言われたO先生の言葉、今でも時々頭の中にがんと轟くのです。
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