年の始めというのは、毎年思うことがいろいろありますよね。
“不惑の40歳”というからには、ある程度「小説を書く」ということに対して腰を据えなければいけない、というよりも“腹を括る”というべきでしょうか。
僕は20を過ぎたあたりから、ぽつりぽつりと物書きの真似ごとのようなことをしながら、すでに20年という歳月が流れています。思えば、あっという間の20年でした。
その間に、数多くの文学賞に小説を送り続けましたが、思うような結果は出ず、そうしているうちに気が付いたら会社ではそれ相応の責任のある立ち場になって書く時間がどんどん減り、仕事も小説も何となく中途半端な感じになって、どっちつかずの状況の中で、今年厄払いの御払いを受けてきたりもするわけです。
もやもやしている。
何かが足りない。
ずっとそう思ってきました。それが何なのか、最近少しずつ分かってきた気がするのです。
それは僕自身が、小説書きとしての“使命”といったものを持っているのか、ということです。使命、言いかえれば「存在理由」ということになるのかもしれません。
僕が書かなくたって、代わりなんていくらでもいる。いや、しかし、それでも僕じゃなければならない理由は何なのか。僕は誰のために存在し、誰のために書いているのか。
それは決して“僕自身”のためではありません。
必ず、読み手(相手)の存在があるわけでして、僕自身の精神修養のためだけであれば、文学賞にも応募しないし、WEBで公開することもありません。プロになろうなんて目標を持つ必要もありません。
だとすれば、使命は何でしょうか。
読者、ひいては社会から必要とされる僕のミッションとは一体?
そのことについて、僕はこの年末年始のちょっとした時間を見つけては、考えてきました。これは企業で言えば「企業理念」というものに似ているかもしれません。
もちろん、簡単に答えの出ることではありませんし、物書きがそんなものを考える必要などないのかもしれません。書きたいものを書いて、それを認めてもらう、あるいは結果、認められた、ということであるのなら。
でも自分が思い描いている成果、結果が中々出てこない、ということになると、そうした使命のようなもの、いわば「心のよりどころ」となるものが必要になる気がします。そんな時代でもあり、年でもあり。
このことについては、この機会にもう少しじっくり考えてみようと思います。