日常的なこと

「あっという間に異世界」~超短編小説の強み

高橋です。
「犬猿」ならぬ「犬熱」の関係だった「犬」と完全に和解し、遂に、思い切り抱きしめ合えた喜びにひたれたと涙していたら、実に精巧にできた夢だったと知った朝に、この文章をしたためています。皆様、ごきげんよう。

9月6日の日経夕刊に、「超短編小説」が盛り上がりを見せている、という記事を見つけました。

■超短編小説「文学の入り口」

超短編小説の日経記事
(写真:日本経済新聞 9月6日夕刊)

「ショートショート」の賞が新設されたり、芥川賞作家が新聞に掌編小説を掲載したり、それに刺激されて、他のプロ作家も掌編小説集を出版したり、という内容でした。

自分がベースにしているジャンルや世界を、新聞などのメディアで取り上げてもらえるのは、何だか嬉しい気分になります。日経の夕刊を見ている人がどれだけいるのか、ということは別にして。(あくまでも個人的なイメージですが、日経の購読者は若い人というより中高年からシニア層、しかも夕刊となると、家庭にいる「奥様」の目に触れる機会が一番多いんじゃないかなと。自分の小説の読者層と比較的被っている気もして、更に喜ばしい気分になります)

ちなみに、googleトレンドで「ショートショート」というキーワードを調べてみると、こんな感じです。

ショートショート

この5年間で、右方上がりの軌道です。皆の関心が高まっているのは確かなようです。
(「超短編小説」というワードだと、まだ検索数不足で出てきません。「短編小説」は、横ばいでした)

日経記事の中では、松田青子氏という作家の出した50編の掌編小説の中には、たった1行のものがあったり、中には本文のない作品もある、とのことでした。え、「本文のない小説」なんてものが存在しうるのかどうか記事からは想像できませんが、とにもかくにも「短い小説」ですから、一陣の風の如く過ぎ去っていく、あるいは、突発的事故のような、海外では「Sudden Fiction」という呼び方もあるようですが、書き手側からすると、思いついたイメージをかたっぱしから文章に起こし、「実験」することが可能です。

新しいプロット、斬新な文体、工夫、趣向、とにかくメモに書き留めるように小説に起こし、その効果を検証する。短編小説は、長編小説ではできないことを全て出来る(何でもあり)と考えていいと思います。そこから、もしかすると、長編小説に移行するもの(長編小説にした方が、その世界観を更に膨らませ、いい物語に展開できるもの)のシーズを見つけることができるかもしれません。村上春樹氏も、良くそういうことをしていますよね。先に短編で書いたモチーフが、長編のプロットに化けていく。この感覚は自分も良く分かります。一応短編で完結させたけれども、もっと膨らませられるのではないか、まだまだ続きが書けるのではないか、と。

とまれ、この副題になっている「あっという間に異世界」というコピーは、自分も良く使わせてもらってます。これが正に超短編の魅力です。前回のブログでも書きましたが、僕が何故「超短編小説」ばかりを書くようになったのか、という動機にもなっています。

■「あっという間に異世界」~超短編小説の強み

携帯やスマホがここまで普及した現代、余暇の過ごし方の選択肢は飛躍的に広がりました。その中で、一定の時間と環境を要する「小説を読む」という行為が、相対的に少なくなるのは当然で、これは小説に限った話ではありません。その中で、いかに「小説を読む楽しさ」を味わい、非日常世界にはらはらどきどきしたり、不思議な感覚を覚えたり、心を癒したりすることができるかを考えると、この「超短編小説」や「ショートショート」というスタイルは、正に現代にぴったりなんじゃないかなと。

何がいいって、ちょっとした時間の隙間に「スマホで読める」というのがいい。これなら、連れ合いとの、ちょっとしたスーパーの買い物途中、駐車場で待ってる間に読み切れます。通勤ラッシュの中でも、会社のトイレの中でも。1編を読了するまで、わずか数分ですから。

「文学の入り口」なのか、出口なのか、あるいは「文学真っ只中」なのかは分かりませんが、元来「小説」というくらいですから、「小さく説く」ものであって、「大きく説く」訳ではない。ということは、この超短編なりショートショートなりというスタイルは、正に「小説」の王道なのではないかとさえ思っています。

(「文学」という言葉は、個人的に嫌悪感を持っているので、最近あまり使わないようにしています。「文学」という言葉の持つイメージ、あるいは「文学」というジャンルに囲い込んでしまうことは、特に僕が書きたいと思っている「超短編小説」や「ポケットノベル」とその想定される読者層にあっては、実に可能性を狭めてしまう気がするのです)

「短いけれど、あっという間に異世界へ」というこの強みは、実は他の業界や分野にも展開できる可能性があると思っています。以前書いた「サッポロビール」(「ラベルの記憶」「壁画の娘~銀座ライオンの恋」)や「タニタ」(「愛の重さ」)などの企業のイメージアップを想定した小説や、それこそ、これまで小説とはあまり縁のなかった(ボリューム的に掲載不可能だった)趣味の雑誌やらカタログやらカレンダーやらパンフレットなどの印刷メディア(キャラメルの小箱で小説なんてものもあります(確か森永のミルクキャラメルの小箱に朝井リョウ氏かが書いてたような記憶が・・・))と、応用が広がります。

いずれにしても、こういう記事を見ると、満更僕だけが独りよがりで「超短編小説っていいよね」って言ってる訳ではないんだなと、仲間が増えたような、ちょっと頼もしい気がしました。


 

「活字への集中力」と「短編小説」

高橋熱です。
寝苦しい夜が和らぎ、秋の気配を感じるようになりましたね。

秋と言えば「夜長に読書」は定例句ですが、自身、このところ全くと言っていい程「読書していない」というか、「出来ない」というか、「読書」という行為が、年を経る毎にとても苦手になっているのを実感します。

活字と読書

 

■「活字」に対する「集中力」


40歳を過ぎた辺りから、どうも活字に対する免疫力が急激に低下しているような気がします。具体的に言うと、長文を読みこなすことが酷く億劫になっている、というか、集中力や気力がついていけない、というか。

あらゆるジャンルの本を乱読しまくっていた学生時代~20代までとは、明らかに読解力も持続力もなくなっているのに気付きます。言葉が頭の中に定着していかない。読んでいても上滑りで、丁寧に読んでいる筈が、書かれている言葉がしっくり理解できない。すとんと腑に落ちてこない。挙句には、1ページももたず、たちまちうとうと睡魔に襲われてきたりと。

これはどういうことなんでしょうね。年代の近い方と話をしていると、時々そういう方に出会います。
推測ですが、この辺りの世代(30代半ば~40代)というのは、一般的に、仕事や組織の中では中堅からリーダークラスになり、部下を何人か持ち、更に上の上司との間で板挟みになっているような世代、あるいは、責任ある仕事やプロジェクトを任されたりと、それなりに企業では精神的負担と責任を求められる年代。

また、家に帰れば子供がいて、学校の問題やら受験やらで頭を痛め、家事をこなしたり、弁当を作ったり、はたまたお互いの親類縁者との付き合いや両親の介護の問題もあったり。友達付き合いももちろんあるし、町会や地域に参画したりと、とにかく「働き盛りの世代」ということで、世間や社会から「求められること」「役割」「義務」が沢山あって、目まぐるしく日々に追われている、というイメージがあります。

もちろん、ライフスタイルは人それぞれですが、とにかく、何だか分からないけれど、日々考えることが(考えなくてはならないことが)山ほどあり、あれほど大好きで夢中になれた「読書」を愉しむ時間もゆとりもない、というのが実態なのではないでしょうか。

「読解力」や「集中力」を持続させるためには、そうした心の雑念を取り去って(一時的にでもシャットアウトして)、「本」や「物語」の世界に集中して「埋没」できる心の環境整備が重要である気がします。読書する側の環境整備。これは物理的な読書環境も心的な環境も含めて。

子供の弁当のおかずをどうするかとか、週末嫌な姑に呼ばれて実家に行かなくてはならない懸念とか、使えない部下のモチベーションをいかにして上げていくか、なんていう「気掛かり」を抱えながらでは、中々読書に集中なんてできませんよね。そんなことを「考えながら」文字を眺めていても、新聞の大見出しを追うことで精一杯です。

■「読書」の特徴

読書には、「言葉を読解する」という脳内での変換作業が必要となります。絵画や音楽は、五感で「感じる」ことができます。流れて来る音を無意識に心地良く聴くことができます。絵は見ただけで、快不快を感じることができます。

ところが、読書となると、「さあ、読むぞ」と脳味噌を「読書モード」に切り替えて、言葉の変換作業に備えなくてはならない、という環境整備がどうしても必要になります。「漫画」というジャンルは、もちろん「言葉」も同時進行していますが、どちらかというとビジュアルでストーリーを追うことができます。絵を見ているだけでも、充分コンテンツとして、感覚的に頭に入ってきます。しかし、「論文」や「小説」ともなると、そう簡単にはいきません。

■なぜ「短編小説」なのか


僕の書く小説の内容の大半は、「家族」や「夫婦関係」を扱ったものです。登場人物も、おおよそ僕と同世代をイメージしています。つまり、そうした読書に集中できない、多忙な環境に置かれた同世代の方々に「自分の小説を読んでもらいたいな」と思った時に、どんな小説を書いていったらいいのか、ということをあくまでも「読み手の目線」で考えてみた時、行き着いた結果が「短編小説」というスタイルでした。

最近では、極めて短い「ポケットノベル」(勝手に命名していますが)という「1,500字完結の小説」を書き進めています。これだと話はあっという間に終わります。一般的なスマホや携帯だと、3スクロール程度、2分もあれば十分の読み切りサイズです。

「そんなもの小説と呼べるか」という議論はあるかと思いますが、しかし少なくとも、そうした多忙な同世代の方に何か「印象に残る文章を残したい」と思うと、コーヒー一杯飲んで一息つく間にスマホで簡単に読めるもの、集中力や読解力がそれほど持続しなくても、簡単に目で追えて(まるで絵画を眺めるように)、しかし読後には、「面白い話を読んだなあ」とささやかながら実感できるもの、最近は特にそんなことを意識しながら小説を書いています。

■「読み手」をイメージしながら小説を書くということ


僕の小説は「とても読み易かった」と言って頂けることが多いのですが、それは上述のような理由から、難解な言葉やメタファーを極力排除している、というのが一因であると考えています。あとはリズム。これはとても大事な要素です。とにかく、読んでいて、用語が分からなかったり、引っかかりを覚えたり、「待てよ」と立ち止って頭をひねったり、メタファーをうまくイメージできなかったり、ということがないようにすること。まるで音楽を聴いたり、絵を見たりするのと同じように、五感で感じてもらえるような小説を書くこと、それには特に注意を払っています。立ち止りや引っかかり、は思考することを強制します。

もちろん、長編小説を含めた一般論として、それがあってはいけない、ということを言っているのではなく、あくまでも短い話を疲れた頭で読む場合には、という限定した環境下での話です。

小説の「書き手」というのは、世の中には実に沢山います。プロはもちろん、ウェブで小説を書いている方、趣味で書いている方、文学賞に投稿している方、本当に沢山の方がいます。職業作家の方は別にして、皆それぞれ書きたい小説を、制約なく自由に書かれていると思います。もちろんそれが普通だし、仕事でもない限り、プロットを指定されたり、文字数を制限されたり、というのはそんなにない筈です。なので、皆書きたいことを書きたいように書く。それが精神修養にもなり、更に読んでいただいた方が喜んでくれて「お金」までもらえたら言うことないですよね?(キンドルや楽天で簡単に個人出版できる時代になりましたからね)。

ただ、自分が書く小説を読んでもらいたいなと想定している「読み手側」の生活環境やペルソナ(マーケティング用語で、提供する製品・サービスにとって、もっとも重要で象徴的なユーザーモデルを規定することです。例えば、40代の小中学生二人の子育てをしているサラリーマンで共働き家庭・・云々)までを意識して書かれる方は、それ程いないように思っています。

たまたま僕が学生時代に、そうした勉強をしていた、というせいもあるのかもしれませんし、今の仕事に関連しているせいもあるかもしれませんが、どうしても、「一方通行」のプロダクトアウト的な小説を好き勝手に書く、ということが僕自身、性格的にも自然に出来ないといいますか。ウェブやスマホで読んで頂いている読者の方の側に立って向き合う癖、といいますか。小売サービス業で言う「ユーザー目線」で物事を考える、というのが無意識的に染みついています。

格好つけたようなことを言っていますが、自身の小説だってまだまだ不完全ですし、もっともっと上手に書けるようになりたいし、そうした書き方が正しいことかどうかも良く分かりませんが、かれこれ20年以上「小説っぽいもの」を書き続けてきて、ホームページや電子書籍を通じて多くの方に見て頂くようなってから、僕としての経験則を踏まえ、今はそんなポリシーで小説執筆に当たっています。

「活字への集中力」が保てない方にも、負担なく、ストレスなく読める小説。
しかしそれなりに心に刺さる、印象深い小説。
これからもまだまだ試行錯誤しながら、書いていきたいと思います。


 

早朝4時に小説を書くということ。

 こんにちは。高橋熱です。
 妙な台風が近づいてきている今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。
 この前ツイッターを眺めていたら、こんな記事が流れてきました。

●朝4時、なぜ最も生産的な時間なのか?
朝4時、なぜ最も生産的な時間なのか?













(出典:THE WALL STREET JOURNAL ライフ)

 紹介されている面々の過ごし方はそれぞれですが、早朝が、生産効率が高まるという内容には頷くばかりでした。(電子メールの処理はやりませんけど)。なるほど、自分の選択は、満更間違ってはいないんだなと。
 自身も、「午前4時起きる」という生活リズムは、この20年変えていないスタンスです。(一時期「午前3時」もありましたが、さすがに仕事に支障を来たすので止めました(日中余りに睡魔に襲われて)。一時間違うだけですが、これが実に大きな違いです)。寝る時間は、大体午後11時前後ですが、5時間くらいの睡眠が、丁度良いようです。

 早朝に起きる理由は、自分のやりたいこと、つまり「小説を書く」という寡黙な作業をするのには一番その時間が適している、ということでしょうか。
 僕の場合は、小説のテーマにもしている通り、家事や子育てに積極的に参加する方なので(否、強制参加させられているという噂もありますが(笑))、日中はもちろん仕事ですから、帰ってきてから就寝するまで、自分一人だけの時間というのはありません。
 人によって執筆スタイルはいろいろあると思いますが、僕の場合は、何かをしながらとか、パラレルに作業を進めることが本当に出来ない人間で、一つのことに集中し出すと、回りが全く見えなくなります。(そのことで、しょっちゅう妻とも喧嘩になりますし、いつか致命傷にもなりかねないと危惧しているところですが)
 
 「音」にはとりわけ敏感で、人の話し声や心地良いBGMでさえも、集中作業をする際には「雑音」扱いです。良くファミレスとかスタバとか人の集まるような場所で勉強している人がいますが、自分にはあり得ません。
 つまり、こと小説に関しては、完全防音、完全個室、完全瞑想状態な環境下でないと、まず「書こう」という気すら起きません。
 
 そこで行き着いた先が、「早朝早起きしてに執筆する」というスタイルでした。朝、仕事の支度を始める午前6時まで、ほどほどの睡眠時間を確保しながら起床できる時間が、正に「午前4時」でした。つまり、午前4時に起きてからの約2時間、その間に、サイトの管理や小説をしこしこ書く、ということをここ何年も継続している、という訳です。

 午前4時。これは実際に慣れてみると、本当にいいです。
 まずは、家庭にいながら、家族の干渉が一切ない。家事を手伝う必要もないし、家族と会話することもない。
 外界からも、物音は一切聞こえない。いちいち起きて外を眺めることはしませんが、おおよそ、四季を通じて午前4時の世界はまだ真っ暗、星も月も静かに瞬いているはずです。生活音が一切聞こえてこない状態、人の気配もない、という理想の環境を実現できているのが、正にこの「午前4時」の世界なんですね。

午前4時の景色
 僕の場合は、もうその時間しか「執筆環境」が整わない訳ですから、午前4時の起床は必然です。無理に、とか意識して、ということではなく、自然に午前4時起床、の生活スタイルは発生し、未だに続けている次第です。僕が短編に固執しているのも、以前に書いたこともありますが、集中力が続かないということもあるのですが、この一日の中で使える「執筆時間」ということも、大きく影響している気がします。今書いている、ポケットノベルレベル(1,500文字小説)であれば、場合によっては、その時間内で1編書き切れてしまう。一つの小説を脱稿するのは、精神的にもすっきりするし、その日一日を気持ち良く過ごせるスタート切るということにもなります。

 あと、寝起き、というまだ頭が半覚醒状態で妄想したり、作文したりすると、通常の発想とは微妙にずれた言葉選びであったり、アイデアだったりします。それが時に突飛であり、自分でも後でどうしてそんなこと考えたんだろうとか、どうしてこんな言葉使うんだろう、と思うことがあり、またそれを楽しんだりもします。もちろん、余りに手に負えない時はばっさり切り捨てることもあります。ただ、あの、ちょっとふわふわしたような、起きたての感覚で書き始める、というのに、奇妙な快感を感じます。

 もし、夜や夜中に執筆されている方で、あまり思うように仕事が進まない方、いい発想が生まれ辛い気がしている方、一度、生活リズムを大きく変えてみる、というのも一考かもしれませんね。

◆関連記事◆
なぜ短編小説か?


 

キンドルの定額読み放題、始まる。

「熱」のくせに、毎日熱中症に怯える、高橋熱です。
皆様、いかがお過ごしですか?

さて、いよいよ、キンドルの定額読み放題(kindle unlimited)が始まり、月額980円で12万冊以上の書籍読み放題となりました。以前からそうなることは分かっていましたが、実際に始まってみると、これは強烈にインパクトのある仕組みで、今までの書籍の流通経路、出版社・作者・小売店含めたマネタイズの概念をがらり変えてしまうものだと思っています。

既存の出版社はきっと大変でしょうね。現時点で12万冊、今後更に増えていくことが想定されると、ユーザーとしては、まず有料コンテンツではなく、無料コンテンツの消化に走るのは必至です。今後益々人口が減り、「自身の裁量で自由に使える時間の過ごし方」を、ゲームや音楽やレジャーなどの他業界含めて奪い合っている状況下にあって、一人の人間が生涯に読む本の量は一層シュリンクしていく筈であり、「本を売る」ビジネスそのもののあり方を相当大胆に変えていかないと、やっていけなくなる気がします。

また、この「定額制」の仕組みは、著作者にとっては、本を販売した時点で売上がたつのではなく、「読まれたページ数」によって収入金額が発生します。そうなると、本の内容はもちろん、いかに「次のページをめくらせるか」のノウハウに重きが置かれることになり、本を売る為(収入を立てる為)には、本の書き方や構成を根本的に考え直さなければならない可能性があります。売れる本(ページをめくられ易い本)のジャンルも、漫画や写真、性的なものなどビジュアルに訴える書籍の方が一層手に取られ易くなるのも、想像に難くありません。(無料なので、片っぱしからダウンロードしといて数ページ読んで、気に入る気に入らないが判断される、という「電子版立ち読み」が気軽にできるようになりますから)

いずれにしても、電子データは総じてそうですが、ひとえにコンテンツだけで売り上げを立てていくことは厳しく、この「無料化」の波、「無料感覚」に飼い慣らされていくことになりそうです。著作物は、現役の著作者にとってただの「販促営業ツール」化していく。著作者が好む好まざる関わらず、読み手のニーズに応えうるプラットフォームが現存する今、市場全体がその流れに向かって行かざるを得なくなります。(当サイトで小説を無料公開したことも、自分の土俵は電子書籍サイトではなく、あくまでも原点であるこのホームページなのだと再確認したからです)

とはいえ、そういう仕組みを活用した新しいビジネスモデルも、今後登場する可能性があるので、書き手側である小生としては、その行方を注視しながらも、粛々とライフワークである「短編小説」の技量を磨いていく、ということに専念していくだけです。


2016-08-05 | 日常的なこと | No Comments » 

 

全短編小説、WEBで公開します。

高橋熱です。本人です。

さて、大手電子書籍サイトの「定額読み放題」への流れや、この数年間に渡る自身の試行錯誤の結果を踏まえ、今一度原点に立ち返り、「本を売る」という発想ではなく、拙著を少しでも多くの方の目に留めてもらう為、当面、無料公開していくことにしました。(以前にもやりましたが、またやります)

振り返れば、10年程前に、文学賞への応募に見切りをつけ、自作した汚いホームページで小説を公開し始めて以来、ぽつりぽつり、サイトを訪れては新作に目を通していただける方が増え続け、叱咤激励に毀誉褒貶、様々な読後感想を最大のモチベーションとして、今日まで書き続けてきました。

しかし、素人でも、アマゾンや楽天で手軽に電子書籍を出版し、販売できるインフラが整ってきたという時代の環境変化もあって、試しに始めた「個人出版」の販売管理が知らぬ間に中心となり、サイトで公開していたほとんどの小説を電子書籍に移行したことでコンテンツのボリュームが一気に低下、他の小説サイトからのリンクも引き払った結果、検索エンジンには殆ど掛からなくなり、こつこつ積み上げてきた愛着あるホームページが、殆ど誰の目にも触れられる事のない、二次的なものになってしまいました。
(それでも、ツイッターなどで知り合った方の中には、電子書籍を真っ先に購入頂き、且つサイトでもコメントを入れてくれるという素敵な方がいることも事実ですが)

正直な話、有料に値するコンテンツを継続的に生み出し、なお売り続けていく、というのは、日頃仕事や家庭で執筆時間が早朝くらいしか取れない自分にとっては、至難の業でした。それこそ小説を書くより、販促活動に時間が取られるということになるのも、本来のやりたいことからすれば本末転倒もいいとこです。

これまでも、その時その時の気分や考え方で、やり方を変えてやってきました。そのせいで、きっと多くの方の信頼を裏切ることにもなったかもしれません。けれど、こと好きで書いている小説に関しては、極力ストレスを感じないでいたいと思ってます。最近もやもやしていた原因が、ちょっと分かった気がします。今の自分に素直になって、「書きたい小説を思う存分に書ける方法」を、そして書いた物を直ぐに公開できる環境を再構築することにしました。

電子書籍は、一定期間、そのまま置いておきますが、近いうちにどうするか考えます。取りやめるということは考えていません。腰を据えて小説を読もうと思えば、電子書籍はWEBと違って縦書きだし、しおり機能はあるし、見出しもあるしと、とても便利だと思いますので。いずれ、できる限り、無料化したいなと思ってます。
(「まとめて読める」「読み易さ」を提供するという観点で、公開されている小説でも電子書籍だけは有料にする、という考え方もありかと思います。ただ、自分の場合は「短編小説専門」なので、むしろWEBやスマホで読むスタイルの方が似合っているのではとも思ってます)

ということで、本日より、主に「短編小説」、「超短編小説」にて、ほとんどの小説をオープンにしましたので、是非今のこの機会にご笑覧くださいませ(またいつ気が変わるか分かりませんけど……)。

追伸
昨日のブログの通り、当面は「ポケットノベル」に絞って書いて行くつもりです。今まで書いた小説のリライトもじっくりやってみたいのですが、それを始めると恐らく1年以上他の物が書けなくなりそうなので、少しずつ、少しずつ。



 

ポケットノベル、着々。

高橋熱です。
久しぶりのブログ更新になります^^;
安心してください。小説は書いてますよ(笑)

今は1,500文字のポケットノベルを着々進めています。
あっという間に読めるので、とても多くの方にご覧いただけて、嬉しい限りです。
これだけ短い小説だと、電子書籍というより、スマホで読むのに適してるなあとつくづく。
横文字もほとんど意識せず、ブログ読むように読めますね。
長編小説を読了した時のような達成感は望めないと思いますが、読み切りなので、日常生活の中で、空き時間やブレイクタイムにさくっと現実逃避するのにいい塩梅です。
久々に手応えを感じているので、当分、1,500文字のスタンスを取り続けてみたいと。

で、週末までに、ポケノベ1編アップします。
次回は、ある特定の企業をモチーフに書いてます。
以前、当サイトにアップしていたものですが、ポケノベとしてリメイクしてみました。
愛の重さの測り方、伝授します(笑)

梅雨も明けたことだし、自身もそろそろ露払いしなくちゃ。


2016-07-29 | 日常的なこと | No Comments » 

 

超、短い小説。

というのを書いてみようかな、と。
超ってどのくらいかというと、大体原稿用紙レベルで、3~5枚程度のもの。スマホでも3~4スクロールで完結するような。
内容は、ショート・ショートみたいに、起承転結があってオチの妙味を愉しむというより、詩のような小説、あるいは、小説のような詩、あるいは、日常に取り残されたフラグメント、あるいは、奇妙なスナップ写真、のような、あるいは…まあ、そういうもの。

忙しい毎日の、ほっと一息ついた合間に読み切れるもの、レンジでチンしてる合間とか、トイレで用を足したりしている時間とか、街で恋人を待っている間でも、一瞬にして妄想旅行に旅立てるような。

急に、そんなちっぽけな小説を書いてみたくなった。
ちっぽけ、と言っても内容が軽いということではなく、短いけれど、それなりに歯応えも味わいもあるもの。
フラッシュアイデアを信じて、とにかくもう突っ走れ、という感じに、ひたすら書き進めていく。

どうしてそんな小説が書きたくなったのか、分からない。
きっと、今の自身の心が、求めているのだろう、と。
心が求めていることには、逆らいたくないので、欲求のままに突き進んでみたい。
また、ある程度書き溜まったら本にまとめてみたい。

4月。
気持ちの寒暖差も、激しい日々。
慎重に。けれど、大胆に。


2016-04-20 | 日常的なこと | No Comments » 

 

電子書籍に出版中の短編小説、全部値下げしました。

こんにちは。高橋です。
年度初めは何かと忙しないですが、皆様ご機嫌いかがですか?

アマゾンのKindleにて販売中の全ての電子書籍につきまして、少しでも多くの方にお読みいただきたく、当分の間、最低価格の99円にてお分けします。新作「愛玉」も対象ですので、是非この機会に!

小説一覧


2016-04-14 | 日常的なこと | No Comments » 

 

最新短編小説集「愛玉(あいだま)」を出版しました!

告知の通り、本日アマゾンにて、標記短編集の販売を開始しました。
これまでの超短編小説集よりもタイトル数は少なめですが、硬軟入り乱れた、多彩な風合いを感じてもらえる短編集になったのではないかと思ってます。
今現在の、自身の持てる力の全てを出し切った小説集ですので、是非ご一読ください!

超短編小説集『愛玉』 

【収録作品】(全10編) (約75,000字/平均読了時間 1時間30分)
1.  愛玉
2.  奇痒譚
3.  バレンタイン騒動
4.  壁画の娘~銀座ライオンの恋
5.  気の毒な老人
6.  名刺奇聞
7.  男と女が再びホテルで会う理由
8.  『マアクンとコウクン』
9.  螺子(ねじ)
10. 愛のミステリーツアー

【書き出し】
かつて、愛は高級品だった。庶民が手を出せるものではなく、お金持ちだけが買える贅沢な代物だった。従って、我々が日常生活で目にする機会はなく、過去に愛を所有したことがあるのは、たった一度だけ、結婚したての頃だった。箪笥やら家電やら布団などの妻の嫁入り道具の一つに、愛は混じっていた。妻に聞いても、間違いなく買った記憶はあると。(超短編小説「愛玉」)

最新短編小説集